ぬかるみに飛び込み、
体中に纏わりついた泥もヒビが入る程に乾いた頃でしょうか、
どちらともなく帰ろうと言う事になり、私達は家路に着きました。

外壁沿いに停めてた自転車を取りに行く時には
脳裏にあの男の貌がよぎり、そそくさと自転車に飛び乗り
その集落を後にしました。
帰路の最中は深層に恐怖を抱えたままで、
私たちは片言隻句の会話しか交せなかったのを覚えております。
しかし、のど元過ぎればと申しましょうか、
家に着いて夕餉の頃には、すっかり戦慄も薄れておりました。

興奮が冷めやらぬのか、
床についた私とY介は遅くまで今日の出来事について語り明かしました。
当初は何事か起きるものかと心の一隅で思っておりましたが、
特に異変は無く時は過ぎました。

御屋敷の件から数週あまり経った頃だったと思います。
子供の好奇心と言うのは何よりも恐ろしいものだと、今になるとほとほと感じます。
またもや私たちの“探検病”が顔を出して来ました。
ド田舎であることもその一因を担っているのでしょうが。

Y介「R!○神池あるだろう?」
R「うん、神社んとこやろ?」
Y介「そうそう、その奥行った事あるか?」
R「奥・・・?杉林の中?」
Y介「いや違う、この間の写生授業の時なんだけどね・・・」
Y介「○神池沿いの道あるだろう?」
R「うんうん」
Y介「あれはそのまま歩くと、○神池を一周するじゃないか」
R「そうだね」
Y介「あの途中にな・・・隠された道があるんだよ・・!!」
R「え~!?そんなの見たことも聞いたこともないけどな・・・」
Y介「おっと?怖いならやめてもいいんだけどね~?」
Y介が私を一瞥する。
R「こ、怖いわけちゃうけど!!・・・前のお屋敷見たいなのはちょっと嫌かも・・・」
Y介「大丈夫だって!何かあれば俺がRを守ってあげるから!!お屋敷でもちゃんと助けただろ?」
R「うん・・・」
Y介「隊長にまかせなさい!!」
R「はい!!隊長!!」

そうして私とY介の探検隊は、
○神池にある未踏の脇道の奥地を目指すことになった。
この奥地に踏み入った事を激しく悔恨することを、まだ私たちは知らなかった。
そして、そこに踏み入る事が必然であったことも。

○神池は二つ先の集落なのだが、
勾配が険しく、自転車で子供が向かうには1時間半程度かかった。
そして池の辺に自転車を停めて、遊歩道をのんびりと歩き出した。

R「やっぱり○神池はでかいな~、泳げないかな?(笑)」
Y介「その前にお前泳げないだろ!(笑)」
R「泳げるよ!・・・ビート板あれば」
Y介「それを泳げないって言うんだよね(笑)」
実の無い会話を幾分かしているうちに、Y介が足を止めました。
Y介「こっちだ」
そう言うや否や、Y介は木々が生い茂り
子供の臍まではあろうかという草むらを、掻き分けて進みだした。
ものの数分も進んだところで急に草むらが開け、
そこには一条の獣道がありました。

R「あれ!?こんなところに道なんかあったんや!でも、これって道??」
Y介「立派な道だよ。この先に行けば、ここが誰か通るためのモノだって事は分かるさ」
R「へー」

その獣道は木々に囲まれて、
その傍らには大人の拳よりも大きな岩石がいくつも転がっており、
道の上にも折れた枝葉や、粘土の塊が点在しておりました。
人が通う為のモノとは思えませんでしたが、
道なりにおよそ15分程歩いたところで、
私たちは看板を見つけたのです。
丸木を柵のように組み、
柵の隙間に金網を張り巡らして、
その組まれた木に打ち付けられた『立ち入り禁止』の看板を。

御屋敷の件もあったので、
私はY介に行くのは止めようと哀願したのですが、
Y介は相も変わらず私を挑発するような言葉しか口にしませんでした。
私が逡巡している姿を見てY介は唐突に笑い出しました。

実はその地域は何かの謂れがある場所では無く、特別保護区に指定されているだけの場所でした。
原生の動植物等を保護するた為の場所、というだけの話でしたが、
Y介もおぼろげに、自然を守るための場所とだけ理解しているだけのようでした。
それで安心しきった私は、
Y介の導くままにその区域に入り込んでしまったのです。

ある程度の探索をしましたが、
目新しいものはこれといって無く、裏山と大差の無い風景でした。
そろそろ飽きが芽生えて来た頃に、
ぽっかりと木漏れ日が照らし出す大岩を発見したのです。
おおよそ4畳位の大きさの岩の上は、木漏れ日に照らされて、まるで天然のテラスのようでした。
私とY介は空腹に気づき、その岩の上でお弁当を食べる事に致しました。

緑風が優しく頬を撫でます。
Y介「気持ちいいなーーー」
ゴロンと仰向けになるY介
R「ほんとやなー!ここ秘密基地にしようや(笑)」
Y介「そうだなー・・・・ん?」
Y介の視界に何か興味をそそるモノが飛び込んできたようです。
Y介「あそこになにかあるな・・。行ってみよう!」
Y介は私の返事を聞く前に体を起し、ソレに向かっていました。
ソレは、大岩から少し坂を上った丘陵の上にひっそりと建っておりました。

・・・祠?
今になって思えば、
何故人の入ってはいけない場所に祠があるか、よくよく考えるべきでしたが、
少年の私たちにそのような思慮もなく、あろう事かその祠の扉を開いたのです。
扉の中にはご神体のような、
柄の部分まで金属製の剣が納めてありました。
素材は判りませんが、
その剣は赤褐色でかなり劣化している様子でした。
その剣には、8の字を重ねたように黒い縄のようなものが巻きついておりました。
縄には所々に玉が結わえてありました。

Y介は不意にその剣を手に取り、じっくりと観察していました。
私も横から見せてとせがむのですが、
Y介は「ちょっと待って!」と、なかなかをの剣を手放そうとしません。
するとY介はいきなりこちらを睨み付け、叫びながら剣を振りかぶりました!!

Y介「食らえ!!リボルケイン」
・・・なんとも愚かしい事でしょうか。
Y介はその剣でライダーごっこを始めたのです。
更に恥を重ねるようですが、
私自身も敵役のキャラに成り切り、その突拍子も無い戯れに付き合い出したのです。
Y介は曰くありげな剣を振りかざし、私の後ろの木立を打ち据えたのです。
ガッ
樹皮に剣が食い込みました。
剣を引き抜くY介。

ブツ・・・ボトッ

!!??

剣に巻きついていた黒い縄が千切れ落ちました。

!!!!

その瞬間に、山が囂々と鳴り響いた気がしました。
それまで煌々と輝いていた太陽も
暗雲に覆い尽くされ、辺りは一瞬にして暗く、不穏な空気が漂いだしました。
私とY介は得も知れぬ恐怖に襲われて、
お互いに言葉を発せずとも、すぐにその場を離れなければ!
と、本能的に察知いたしました。
Y介は剣をその場に投げ捨て走り出しました。
私も同時に走り出しました。
心臓は高鳴り、喉の奥からは粘着質な錆びた味が込み上げてまいりました。

一目散に獣道を走り抜け、
草叢を突破し、
自転車に跨り、
家に向かって全力でペダルを漕ぎ出しました。
帰り道はほぼ下りなので、かなりのスピードで降って行きました。
キーーーーッ!!
カーブの度に甲高い乾いたブレーキ音が響きます。
かなり危ない場面もありましたが、
私たちは決して勢いを緩めること無く走りました。
きっとY介も感じていたことかと思われます。
背中にへばりつくような視線、絡み付いてくる悪寒。

私たちは後ろを一度も振り返らず家に着きました。
しかし、御屋敷の時のような安堵感は生まれて来ませんでした。
私達は食事も喉を通らず、意気消沈したままでした。

そこから布団に入るまでの数時間を、どのように過ごしたか全く憶えていません。
しかし、布団に入ってからY介と交わした会話だけははっきりと覚えております。

Y介「・・・・・今日は電気点けて寝ようか?」
R「・・・うん」
布団に入ってからは
沈黙が続き、無音は耳鳴りのように響いていました。
このような状態で眠れるはずも無いと頑なに思っておりましたが、
疲労困憊した体が休息を求めるように、いつしか眠りに至っておりました。

ガリ・・・

ガリガリガリ・・・
壁を掻き毟るような音に起こされました。

音は天井裏から漏れているようですが、最初は鼠の仕業かと判断して
再び瞼を閉じようとした瞬間、ある違和感に気がつきました。
あれ?暗い・・・
電気は点けたまま寝たはず!!

最初は祖父母が消したのかと思い込もうとしたのですが、
どうにも言い訳の効かぬ事態に陥りました。
恐怖に駆られてY介の布団に潜り込もうとしたのですが、体は天井を正面に見据えたまま
微動だにしません。
私は己の意のままに体が動かぬ最中、
その瞳だけで助けを求めるかのようにY介を見つめた・・
Y介の両眼が開いている!!
Y介も同じ状況に見舞われている事がすぐに確信できた。
一体、何が自分に降りかかってくるのか想像も出来なくて脅えていました。

自分の視界には天井の板と電灯しかありませんでしたが、
一箇所だけ物凄く暗い・・・?
違う・・・
黒い煙のようなもやが天板の隙間から漏れ出して来ている!!
黒いもやは空気より重いガスのように下に降り注いで、
一つの塊になりました。

黒い塊はY介の足元に漂っています。
黒く蠢く塊から陶器のような白い手が・・・
黒い塊が一種の穴のように、どんどんと人の形をしたモノが這い出てきました。
ズズッ・・・ズズズッ・・・・

その人の形をしたモノは、Y介の上を這いずって上って行きます。
Y介の瞳のが酷く脅えて、顔は汗に塗れているのが見て取れますが、私は何も出来ません。
そのモノは女性の形を成していて、
髪は腰の辺りまで伸びており、
全身が絹のような真っ白でぼんやり光っていました。
こちらの側から顔を伺い知る事は出来ませんでしたが、その女の顔がY介の眼前まで迫ってきています。

・・・ゴキッ!
ガボガボッ・・・ゲホ!

その女の白い手が、Y介の口の中にねじ込まれていきます!!!!
Y介は声にならない嗚咽を漏らしています!
女の手・・・
髪の毛・・・
顔、首・・・
黒い靄になりながら、ずるずるとY介の口に入り込んでいきます!!
私は頭の中で声にならぬ叫びを繰り返していました。
女が飲み込まれて行くにつれて、
どんどんY介の顔がドス黒く、
腐敗したような色に変色していき、
女の膝辺りまで飲み込んだところで、Y介は白目を剥いていました。
私はそこで気を失ってしまいました・・・・・・

空が白くなり、雀の声が朝を告げます。
私はいつもより少し早く目が覚めました。
・・・夢だったのだろうか?
昨夜の記憶は生々しく残っております。
寝巻が冷たい・・・敷布団に大輪が描かれていました。
しかし、我が身の痴愚を憂うよりも、先ずはY介の事を心痛し隣に目を配らせました。
視線の先にY介の姿は無く、
私は慄然とし噎び泣いていました。

Y介「朝からどうしたんだ?」
私は涙に塗れた顔に安堵の笑顔を浮かべながら、Y介に駆け寄りました。
私「Y介えええ・・・」
Y介「なんだーまた漏らしたのかよ(笑)
Rもいい年なんだから、漏らしたぐらいでそこまで泣くもんじゃないぞ?」
私「違うわ!違うわ!・・・Y介がおらへんから・・・」
Y介「トイレに行ってたんだよ。俺はRと布団でおしっこしないからね(笑)」
R「だって・・!Y介・・昨日の夜何もなかったの?」
Y介「何の事だ?怖い夢でもみたのか?それで・・・」
一瞬だけY介の表情が曇ったような気がしましたが、
私も自分を納得させるために
Y介の夢と言う言葉を信じる事にして、それ以上は何も聞きませんでした。

その後、私は祖母に軽い叱責を受けて、朝食の卓につきました。
Y介は食欲が無いと、一切箸をつけませんでした。
元よりY介は持病を患っており、
体調の優れぬ日は朝食もとらずにそのまま学校を休む、といった事も時々ありましたので、
祖父母も特には気には留めておりませんでした。
私は一抹の憂慮を抱きましたが、
すぐさま掻き消しました。

私は身支度を整えて、
スクールバスに乗るためにバス停に向かって家を出ます。
バス停は家から目鼻の先にあり、いつも祖母が見送ってくれます。
Y介が学校を休む時は、
Y介も祖母と一緒に見送ってくれます。
門を越え、上の道に出るための階段を
半ばまで登った所でしょうか、Y介が胸を押さえていました。
体調が悪化してきたようです。
呼吸も荒くなり、喘鳴音もしてまいりました。
いつもの発作だろうと思われ、
取り敢えず祖母はY介を私に任せて、家まで薬を取りに戻りました。
昨日はかなり激しく運動したからなあ等と思い返しつつ、
私はY介を気遣いながら横に立ち尽くしていました。

オエ・・・ゲボッ・・・ゲェェェェェェェ
突然Y介がその場に突っ伏し嘔吐いたしました。
私は瞬間的に目を逸らして、
Y介の背中をさすりながら「大丈夫?」と声をかけました。
Y介の返事は無く、なおも嘔吐し続けていましたが、不意に視線を落とし驚愕致しました。
Y介の吐瀉物が毛髪だったのです。
うずくまるY介の下に大量の毛髪が嘔吐されていました。
立ち上がり、こちらに向き直るY介。

Y介「・・・・・・」
私「・・・毛が・・・」

Y介の眼頭から顎先の辺りまで、触角のように毛髪が垂れています。
ゆらゆらと微風に揺られている黒々とした毛髪が、ひとしお私の戦慄を煽ります。
そこに祖母が戻ってまいりました。
泣きじゃくる私を見て祖母が異常に気づきました。
祖母「R、どないしたね?」
私「毛・・が・・・Y介が・・・ばーちゃん・・」
祖母「なんじゃこれは・・・
R、Y介連れてうちに帰るんや。すぐにこんこんさんに連絡するからの!」
祖母は即座に状況が尋常では無い事を見極め、
気丈に振る舞ってくれました。
(『こんこんさん』とは、うちの集落にあるお寺をの事です。
おそらく、金剛?金光?が訛ったものかと思われます)
私はY介に肩を貸し、祖母と一緒に家まで戻りました。

祖母に指示されて、仏壇のある部屋の縁側にY介を寝かしました。
祖母がバケツと数珠を持ってきて
Y介に渡して、
「じーちゃんがおっさん呼びにいっちょるからな!Y介もう少しのしんぼうやからの!!」
そう力強く言って、
仏壇に向かい祈り始めました。
(『おっさん』とは、方言で和上様の略語のようなものです
中年男性を指すオッサンとはイントネーションが異なります)

ジャリジャリジャリ
庭の玉砂利が響き、車が乗り込んで来たことを教えてくれました。

祖父「おっさん来てくれはったで!」
祖父が叫びながら駆け込んで来ました。
僅かに遅れて和上様が、一礼をして仏間に入って来られました。
すでにY介は顔面蒼白で、
バケツの半分程の毛髪を吐き出しておりました。
和上様は私とY介を凝視した後、優しく微笑みながら仰いました。
和上「R君・・・Y介君がこうなった原因に、心当たりはあるのかな?」
私はおぼつかないながらも、
昨夜の闇から出てきた女がY介の中に入り込んだこと、
○神池の奥地に踏み入ったこと、
そこの祠に安置されていた剣で遊び、
巻き付いていた黒縄を切り落としたことを話しました。

穏やかな顔で聞いておられた和上様も、
全てを聞き終える頃には怪訝な表情を浮かべておりました。
そして、呟きながらまた問いかけて来られました。
和上「・・・おかしい、あの場所に辿り着けるはずは・・・・。
R君、Y介君が××(隣の集落)にある、黒い大きなおうちに行った事があるか知らないかな?」
私はすっかり失念しておりました。
あの御屋敷に行ったこと自体が、今回の事と関係があったのでしょうか?
疑問に抱きながらも、和上様にその事を話しました。
私「前に一緒に行きました・・・中で髪の長い男の人みたいなのがいて、逃げました・・・」
そこまで話すと、
それまで傍らで聞いてた祖父が怒声を発しました。

祖父「なぜあそこに行った!!あそこは行っちゃならん場所なんじゃ!!」
すぐに横から祖母が制止しました。
祖母「今更ゆーても仕方なかろうに!ちゃんと教えておかんかったわしらも悪いのじゃから・・」
そこまで言うと
祖母は涙ぐみ、祖父も俯いて押し黙りました。
どうやら、子供が興味本位で禁忌を犯さぬように、敢えて何も教えて無かったとの事らしいのです。

束の間の沈黙が流れ、祖父が口を開きました。
祖父「和上様!Y介を助けてやって下され!!お願いじゃ・・・!」
和上「・・・残念ながら、私の功徳の足りんせいも在りますが、
コレは領分外になりますので、私の力ではどうしようもありません・・・」
祖母「そんなむごい話あるますじゃろうか!?和上様!!なんとかならんのじゃろうか」
和上「・・・どうなるか確たる事は申せませんが、やはり専門の者に頼むしか・・・」
和上様は少し言葉を濁した様子でしたが、
祖父母はそこまで聞いて察している様子でした。

祖父「それしかなかろうし・・・和上様・・お願い出来ますかの」
和上「分かりました、では、来て頂くように手配いたします・・・ほっとけさんに・・・・・・」


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