75 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:00:33.42 ID:rJTPBnmH0
「うそは、いけません。うそは。
うそは簡単に人を幸せにしますが、見破られたときの不幸は、周囲のすべてを巻き込みます。
霊能力者と名乗る連中も同じですよ。
テレビであれだけ騒がれても、うそが暴露され、さらし者になる。
一番不幸なのは、そいつらを信じて身代を投げ打った無辜の民です。
なのにまた、前任者のさらし首が乾かないうちに、次の霊能者がブラウン管を賑わせる」
ひたひた、という滑らかな口調で松浦は続ける。
「あなたがそんなうそを言う人間でなければいいが。心からそう願ってやみません」

松浦は腰掛けていたデスクから降り、師匠の前に歩み寄った。
そして手を伸ばせば触れるか触れないかという距離で立ち止まると、口を開いた。

「私は、占い師や霊能者を名乗る者に出会うと、必ずこう訊くようにしています。
『私には誰か守護霊がついて見守ってくれてはいませんか』と。
彼らは一瞬困ったような顔をした後、こう言います。
『お母様が守護霊としてついていてくださいますよ』と。
あるいはこうです。
『お父様が見守ってくれていますよ』と」
松浦は師匠の顔を正面からじっと見つめている。
師匠もその視線をそらさず、真っ向から見つめ返している。

「私の年齢ならば、父や母はまだ生きている可能性は十分ある。
生きていたとしたらその時点でペテンだと露呈します。
なのに、安全に祖父や祖母の話を持ち出さなかったのは、彼らもまた
ある種のプロフェッショナルだということです。
ホットリーディング、と言うんですか。
顧客の情報を事前に可能な限り仕入れておいて、さも今霊視しているように演じる、あれです。

この私どもの業界は、人の口には戸を立てられない、というのを地で行く典型的な噂社会でしてね。
ちょっと知ってる風の三下にそれなりのものを掴ませれば、簡単に聴けるんですよ。
私の父が本家、立光会の先代だってことや、母はその何人目かの愛人で、
私は中学校を卒業するまでは私生児として育てられたってことをね。
そしてどちらももう死んでいて、この世にいないことも」
表情を全く変えずに、松浦は師匠に問い掛けた。

「公然の秘密というやつです。それを踏まえた上で、あなたにも問いたい。
『私には誰か守護霊がついて見守ってくれてはいませんか』と」





76 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:02:53.01 ID:dTAVLjsO0
さっきまでのヤバさと全く次元の違うヤバさだ。
ひしひしとそれを感じる。
同じような感触を得ているであろう他のヤクザどもも、緊張した面持ちで動けないでいる。
松浦の満足するような答えが返ってこなかった場合、いったいどうなるのか。
想像するなと言われても、想像しようとしてしまう自分がいる。
「さあ。どうです」
これが最後の問いだ、と言わんばかりに松浦は口を引き結んだ。
能面のような顔だ。ふと僕はそう思った。

師匠がゆっくりと口を開く。
「いないね。誰も。あんたの後ろにあるのは虚無だ」
めんどくさそうに言って、鼻で笑った。
松浦は一瞬、呆けたような顔をして、それからゆるやかにまた脱皮をし、元の蛇のような表情に戻った。

師匠がぼそりと言う。
「霊の話をしてると、寄って来るって言うだろう。来てるよ、ほら」
師匠が窓の方を見た瞬間に、松浦もまたそちらを見た。
そして窓から目を逸らすと、二人で見詰め合った。
驚いたような顔だった。
しようもない手口で脅かされた松浦の方は、顔を真っ赤にしてもおかしくない場面なのに。
不思議な沈黙が流れて、僕らは息が詰まった。

誰も動かない状況を破ったのは、ふいに鳴った電話だった。
取ろうとした小川所長を目で制し、松浦はそのまま年嵩の男に目配せする。
男はすっと動いて受話器に手を伸ばした。
「はい。小川調査事務所」
抑揚のない声でそう告げると、電話の向こうは関係者からだったらしく、
松浦の方に向き直って受話器を下げ、「見つけたそうです」と簡潔に報告した。
「分かった。お前ら先に行け」
松浦がそう言うと、年嵩の男、ゴリラ男、そしてもう一人長い顔をしたパンチパーマの男が
頭を下げて部屋から出て行った。
後には、小川調査事務所の三人と、松浦、そして茶髪の男が残された。
表でベンツだかBMWだかの車のエンジンが重低音を響かせたかと思うと、
その音があっという間に遠くなっていった。



77 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:08:10.17 ID:rJTPBnmH0
残った茶髪の男は松浦付きの運転手なのだろう。
さっきから何が楽しいのかニヤニヤと無意味に笑っている。本当に頭の悪そうな顔だ。
僕はさっき殴られた腹が急に痛み出し、
二対三という数字上の優位をたてに軽く睨みつけてやった。
茶髪はその視線に気づいて、からかうように顔をしかめてみせている。そしてまたヘラヘラと笑う。

「で、捕まった田村はこのあとどうなるんだ」
師匠がなんでもないことのようにそう問い掛けると、
これまで師匠に任せようとばかり沈黙を貫いていた小川所長が、「おい」とたしなめる。
「そちらには関係ありませんよ」
つまらなそうにそう言って、近くにあったティッシュで鼻をかんだ。
しかし目的は達成したとはずだというのに
すぐに去ろうとしないのは、なにかまだ言い足りないことでもあるのに違いなかった。
師匠は距離感を図ろうともせずに、さらに懐へ飛び込む。
「あいつはなんで追われてたんだ」
そう問うと、松浦はティッシュをゴミ箱に投げ入れた。狙いは外れなかった。

「……そうですね。株式会社角南建設。知ってますかね」
急に僕でも知っている中大手ゼネコンの名前が出てきて少し驚いた。
この市内に本社を構えていて、地元ではトップ企業の一つだ。よくテレビCMを目にする。
「そこの今の会長は創業者一族の重鎮でしてね、角南盛高(すなみもりたか)。御年七十一歳。
そしてその兄が、一族の現当主にして県議会議員の角南総一郎。御年七十三歳。
当選十回の、泣く子も黙る古狸です」
松浦はまたティッシュを鼻にやった。
茶髪がソファを引きずってきて、後ろに据えると、何も言わず当然のように腰をかける。
「まあ、この角南一族というのは、戦前から海運業などで財を成した言わば財閥で、
さまざまな分野にその根を張り巡らせています。例えば」
松浦は有名な地元製薬会社の名前を上げた。
「あそこの株主の中でも、主要なところは角南家に抑えられています。
名前は直接出てきませんがね」
今度のティッシュは的を外した。
あ~あ、という感想が漏れる。
茶髪は、拾うべきか拾わざるべきか悩んでいる顔をしながら、
一応という表情で拾いに行って、ゴミ箱に入れた。



78 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:11:01.20 ID:rJTPBnmH0
「そして地元でも、もはやまともに立ち向かってくるもののいない、権威と権力、
そして金を手にしている彼ら一族ですが、次の衆院議員選に、その秘蔵っ子を出してくるらしいんです」
喫茶店でゴシップ話でもするように松浦は続ける。
「二区でね。一騎打ちですよ」
秘蔵っ子とやらの一騎打ちの相手とは、次期首相候補と噂される代議士のことだ。
地元出身ではない僕でも名前は知っていた。

「今まで有形無形の様々な形で応援していたのが、手のひらを返して対立候補を立ててくるんです。
ただごとじゃない。
その秘蔵っ子は、そうですね。角南盛高か、総一郎のどちらかの息子とだけ言っておきましょう。
まあ、こんな情報はそこらの週刊誌にも出てるような話です。
話半分に聞いておいて下さい。
まあ事実上一騎打ちと言っても、今の中選挙区制では次点でも落ちることはありません。
しかし、万が一、新人の後背に甘んじるようなことになれば、確実に顔は潰れます。
次期総裁の座も危ない。と、こういう図式です。
 
問題は勝算があるのかどうか、ということですよ。
あるいはただのブラフかも知れない。
ブラフだとしても、こんな情報が市井に出回っている時点で、一定以上の効果はあるでしょう。
出ちゃおうかな、出ないでくれ。そういう交渉が水面下で続いているのかも知れない。
その見返りの『算盤のケタ』の問題を詰めている最中なのかも知れない。
さて、私ども凡俗の人間には分かりかねる世界ですが……」
松浦はそこで言葉を切って、それまで向いていた師匠ではなく、所長の顔を見て言った。
「出ます。十中八九ね」
あっさりとそう断言するのだ。

「そして出るからには勝ちに来ます。間違いなく。一族を上げて。そこで怖いのは、スキャンダルです。
今まで中央政界で散々もまれて来た某代議士センセイと違って、
ほぼ初めて一般の方の目に触れる箱入りのお坊ちゃんだ。
もっとも、ハーバード大学卒業から始まるキャリアは大変なものですがね。
ともあれそんな大事なお坊ちゃんには、まだスキャンダルの洗礼の余地が十分にあるんですよ。
立候補の告示日の翌日には落選確実の一報が入るような、恐ろしい一撃がね」



79 :心心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:17:24.03 ID:rJTPBnmH0
黙って聴いていた小川さんは、やっと口を開いた。
「いったいなんの話なのか分かりませんが。
そう言えば角南県議は今でも角南建設の顧問でしょう。株も相当数保有しているんじゃないですか。
常々思っていたんですが、あれは、地方自治法上の……何条でしたっけ。
とにかく兼業禁止規定に引っ掛からないんですかね」
まるで話を逸らすような内容だったが、松浦はそれについても解説を加えた。

「角南建設は確かに、県発注の公共工事を多数落札し、施工しています。
一見すると、議員の自治体からの請負を禁じた、九十二条に引っ掛かりそうなものですが。
実は本人が請け負うと即アウトなんですが、
法人の場合、その法人にとってその議員がどういう役職にあるか、
実体としての影響力を持っているか、に掛かってきます。
そして支配的な地位を持っていると認定されても、請負の額の問題が発生します。

判例にもよりますが、まあだいたい、法人の年間受注額全体における県発注工事の占める割合が、
五十パーセントを越えなければセーフですね。
それに、兼業禁止にかかる発議権は、議員に専属しています。
お仲間たちに無駄な声を上げさせない力を持っていれば、そんな問題自体が発生しないんですよ。
検察だって手が出せません」
ところが、と松浦は話をまた元に戻す。
「そんな兼業禁止規定だなんていう抜け穴だらけの有名無実な禁則事項よりも、
もっと危険で即効性のある『毒』が、ある男からもたらされたんですよ」

「それが田村なのか」
松浦はそれには答えなかった。
喋りすぎていないかどうか慎重に吟味しているような顔をしていた。
そもそも僕にはなぜ松浦が、そんな裏の情報をここで口にするのかさえ、さっぱり分からなかったのだが。

「老人って、なんのことだ」
師匠が何気なく漏らした一言に、松浦の顔つきが変わった。
茶髪の男が師匠の背後に回ろうとして、その間に小川所長が身体を割り込ませる。
「静かに」
その動きを制して、松浦はゆっくりと問い掛けた。
「どこで、それを」
「この事務所で倒れてから傷口を洗うまで、田村は気を失ってたんだ。
アルコールをぶっかけた途端、喚いて目を覚ましたけどな。
その気絶している間に、呟いたんだよ。うわごとみたいに。
なあ、老人って誰のことだよ」



80 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:21:00.51 ID:rJTPBnmH0
「田村は老人が、どうした、と言っていたのです」
「知らん。老人、っていう言葉しか聞き取れなかった」
松浦は射るような目つきで師匠の顔を眺めた。
そうして「老人は」と、口を開く。
カパリと。
「総一郎、盛高の父です。先代当主ということになりますか。もう十年以上前に亡くなっています。
老人……そう。彼は、ただ『老人』と呼ばれています。畏敬をもって。
その息子たちが、そう呼ばれて久しい年齢になっているというのに。
角南大悟(だいご)。本名をそう言いました」
松浦の言葉に、一瞬小川さんが驚いたような顔をした。
どうやら知っているらしい。
そちらに一瞥を加えてから続ける。
「時代を超え、ただ、その名のみをもって今なお人を畏怖させる。
日本戦後史の暗部にうごめくフィクサーの一人です」

「その老人とやらにまつわるスキャンダルだってのか」
師匠が鋭く切り込んだ。
松浦はソファから立ち上がった。
「さて、どうでしょう。
ただ、地元に根を張る我々としては、仮にそんなものがあったとしたら、
東から来る仁義の欠片もないヤカラどもと違い、
郷土の英雄を守りたいという義憤にかられるのではないでしょうか」

もう話は終わりだ。そう言いたげに、松浦は茶髪の方に顎をしゃくってみせる。
最後に、事務所を荒らされ放題にされた格好の小川さんが短く言った。
「そちらと、角南一族とは縁が切れていたと思ってましたがね。
例の産業団地がらみで何人逮捕されたか考えれば」
松浦は目を細め、すっと半歩だけ近寄って顔を突き出しながら言った。
「組織が大きいとね、色々あるんですよ」
まるでそれまでの話よりもよほど重大な秘め事を明かすかのような口調で。

そうして、蛇のような男は、青白い顔の印象を強く残しながらドアの方へ向かった。
「あ、そうそう。その『毒』ですがね。どうもおかしなところがあるようなんです。まだよく分からないのですが。
この次は探偵を頼る客として来ることがあるかも知れない。
その際はご指名しますよ、お嬢さん。
次に会う日までに、年長の人間と話す時の作法を身に着けておくと、もっといい」



81 :心霊写真1 ラスト ◆oJUBn2VTGE :2013/02/24(日) 00:22:13.07 ID:rJTPBnmH0
こちらを振り向かずにそう言うと、松浦はドアの向こうへ消えた。
後を追う茶髪がその去り際、
ふらりと近寄って来ると、いきなり僕の頭を軽く抱えて、ぼそぼそと言った。
「おい。兄ちゃん、俺の顔を見て笑ったろ。
人をよう、見かけで判断しちゃダメだって、教わらなかったんか」
そして、さっき階段のところで食らわしたのと同じパンチをボディに入れてきた。
こっちからずっと睨んでいた腹いせに違いなかった。
重い痛みが芯に響き、身体が九の字に折れそうになる。

茶髪は、その前歯が一本欠けた間抜けな顔をすっと遠ざけ、じゃあなと言って、
ドアの向こうへ去って行った。
また外車特有のエンジンの音を響かせ、
その音が遠ざかっていくのを聞いた後、僕ら三人は一人残らずへたり込んだ。
「寿命が縮むよ」
小川さんが師匠を恨めしそうに見ている。
「ヤクザ、怖えぇな。やっぱ」
師匠は今さらのようにそう一人ごちる。
僕はというと、殴られた腹を手で押さえながら、もういい加減にこのバイトを辞めようと心に誓ったのだった。
「あ。お嬢さんて、今日二回も言われた」
師匠が妙に嬉しそうにそう言った。


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