911 :黒い貴婦人:2007/03/22(木) 00:17:01 ID:z8xRvYYwO
俺は全力で走った。
気持ちばかりが先を走るが、体はイメージ通り走ってはくれない。
全身が泡立つのを感じる。
怖いなんてもんじゃない。捕まれば終わりだと、漠然と確信する。

「わたし優しくされたの初めて」
耳元で聞こえる筈の無い声が囁く。
「わたしと…」
優しく肩を掴まれた。赤いマニキュアの指が見えた。
さらに耳元で囁く。
「一緒に…」
俺はかすれた悲鳴を上げてそれを振り払い、走り続けた。
「うふふふふふふふ」
笑い声があちこちから聞こえた。
あまりの恐怖で気が狂いそうだった。

制服のシャツの背中を、何本もの手が掴もうとする。
背中に爪が食い込むのが分かった。
なにかが背中に触れる度に、恐怖が皮膚の下を這い回る。
頭の先から爪先まで、冷たい汗で濡れていた。
不意に頭のすぐ後ろで息を吸う気配がした。
「つかまえた」
肩の上から回された腕が、俺の胸の前で合わさる。 赤いマニキュア。
右の人差し指だけ色が無かった。
後ろを振り向かずとも、視界の端で彼女の横顔を見た。
涼しそうな唇が三日月のように吊り上がる。
「きゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!」
甲高い笑い声が頭で鳴り、意識が遠くなるのを感じた。





912 :黒い貴婦人:2007/03/22(木) 00:18:29 ID:z8xRvYYwO
右肩にガツンと衝撃を受け、呼び戻された。
目の前には、布を巻かれた棒のようなものを持った妹が立っていた。

「うふふふふふふふ…」
笑い声が遠ざかっていくのが聞こえた。
「お兄ちゃん大丈夫?」
妹が俺の後ろ、遙か遠くを睨みながら言う。
右肩に激痛が走った。
「…なあ、お前。俺を殴った?よな?」
妹は持っている棒を後ろ手に隠した。



913 :黒い貴婦人:2007/03/22(木) 00:19:56 ID:z8xRvYYwO
怯えながら家へ帰る途中、妹が言った。
「わたし言ったよね?余計なものに関わるなって」
霊感が異様に強い妹は慣れたもんで、怯えた様子は微塵もない。
「あんな血だらけの女に話しかけるなんて、お兄ちゃん、女なら何でもいいんじゃないの?」
「え?いま、何て言った?血だらけ?あんなに綺麗な人だったじゃないか」

恐る恐る彼女に掴まれたシャツ見た。
腕の形の赤い跡が付いていた。
彼女が触れた右手にも、べっとりと血のようなものが付いていた。
ぞっとして服を脱ぎシャツの背中を見てみると、幾つもの赤く擦り切れた手形。
気が遠くなった。

背中の手形の一つ、ちょうど人差し指に当たる部分に、
剥がれ落ちた真っ赤な爪が食い込んでいた。
うっ…
俺はアスファルトに吐き、目眩を覚え気を失った。



914 :黒い貴婦人:2007/03/22(木) 00:21:20 ID:z8xRvYYwO
次に目が覚めると、見慣れた天井。
自分の部屋だと気づき、溶けそうなくらいの安心を覚える。
小さな話し声が聞こえ机に目をやると、妹ともう一人、妹と同じ制服を着た女の子が話し込んでいた。
二人してなにかを見ているようだ。

「ね…ぐいよね…おにいさん…」
「わたしも…にいちゃ…たい…は…おもわな…」
声をかけようとしたが、眠かったので眠った。

淡い夢の中で、喪服の女が部屋のドアから顔を半分出して、俺に微笑んでいた。
不思議と恐怖は無かった。
彼女が囁く。

「何一つ幸せじゃなかった人間は、天国へ行けるかしら?」
わからない。
「うふふ。うふふ」
笑いながら、顔を覆っていたベールを上げる。
ベールに隠されていたのは、とても美しい顔だった気がする。
だが一筋、そしてまた一筋と、彼女の頭から赤い滴が滴り落ちる。
耳、鼻、目、口、あらゆる穴から血の滴が流れ始める。
瞬く間に美しい顔は、血のラインで真っ赤に汚れた。

「あなたのことがとても気に入ったわ」
しゃべる度に、唇が閉じる度に、ぴちゃぴちゃと溢れ出る血液が飛び散る。
やめてくれよ。嬉しくないよ。

「うふふふふふふふきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ」
彼女は涼しい顔をして壊れたように笑った。



915 :黒い貴婦人:2007/03/22(木) 00:24:11 ID:z8xRvYYwO
翌朝、疲れきった体のまま目を覚ますと、机の上に何かが置いてあった。
達筆で書かれたお札だった。
ああ、昨日来てたのはあの子だったのか。
妹の同級生に神社の娘が居る。
可愛い子だったが、妹の友達だけあってなかなかの曲者とゆう印象だ。
お札の下に何冊かの雑誌が綺麗に角を揃えて置かれていた。
俺は気が遠くなった。秘蔵のエロ本だった。

「ふふふふふふふ」
ビクッとしてドアを見ると、顔を半分だけ覗かせた妹が笑っていた。
「お兄ちゃん変態…」
妹が感情の無い目で言い、俺はただ何でもないふりをした。


これからしばらくの間、夏が来る度に黒い貴婦人に怯えることになる。
いまだに彼女の笑い声が耳にこびりついて離れないでいる。

解決したと思っていたが、甘かったのかもしれない。
なんかさっきから家鳴りがひどいんすよ。
酒飲んで寝ます。
参ったな。妹いま居ないんすよね。犬がドア引っかいてるし。
明日相談してみます。とりあえず犬と寝ます。
おやすみ。



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