379 :名無しさん:2013/09/22(日) 05:21:41 ID:PamIIQSQ0
死んだばあちゃんから聞いた話。
ばあちゃんの夫、
俺のじいちゃんは戦時中に刑務所で刑務官を務めていたそうだ。
当時のじいちゃんはヤクザだろうとなんだろうと囚人達に非常に真面目に接していたようで
内緒で煙草をあげたり、
畑の作り方を一から熱心に教えたりと(畑仕事は死ぬ直前までやっていたくらい好きだった)
じいちゃんは人を馬鹿にするというか、とても良い性格とは言えない人物だったので
俺の知るじいちゃんからは考えられないほど同僚・囚人の両方から信頼させる人徳のある人物だったそうだ。
そのせいもあってか、囚人の中にはじいちゃんのことを「先生」と呼ぶ人もいた。
夏真っ盛りの昼、いつもの畑作業が終わった時だった。
「Nさん(じいちゃん)」と呼ばれたので振り向くと
同僚のKがじいちゃんの後ろに立っていた。
Kはじいちゃんと同い年で性格も明るく非常に勤勉な人で、じいちゃん家で囲碁を打つくらいお互い仲が良かった。
ばあちゃんも囲碁を打ちに来るKのことを微笑ましく見ていた。
「Nさん、これ女房の実家から送られてきたんよ。」
とKから手渡された新聞の包みを開けるとあったのは美味しそうな真っ白い角砂糖だった。
ただでさえ戦時中で物資がない時代、
こんなものは貰えないと一度は断ったものの「沢山あるから」と半ば無理やり渡されてしまった。
当時からかなりの甘党だったじいちゃんは内心すごく喜んでいたそうだ。
その日の夜は宿直のため刑務所内の見回りをしていた。
両側にまっすぐに並ぶ牢屋の暗い廊下をじいちゃんが歩いている時だった。
左前の牢屋から声がする。
不審に思ってゆっくり牢に近づくと小さく「先生、先生」と呼ぶ男の声が聞こえた。
それはYというヤクザの下っ端で
ほんの数日前窃盗で捕まったばかりで
とてもヤクザとは思えないくらい地味な風貌の初老の男だった。
なにかあったのかと尋ねるとYは
「先生、腹が減っとるんです。どうにも我慢できなんで、何か口に含むものをくれんじゃろうか?」
いつも頬骨が浮かび顔色の悪いYのことを心配していたじいちゃんはその願いを断ることはしなかった。
そういえばと、昼にKから貰った角砂糖がそのまま制服のポケットにあることを思い出した。
少し辺りを見回して他の囚人が起きていないか確認してからポケットから角砂糖を取り出した。
不思議とそれを目の前の囚人に渡すことを少しも惜しいとは思わなかった。
じいちゃんは角砂糖を格子の隙間からYに手渡した。
しかしYはそれを汚れた指で摘まんでまじまじと眺めるだけで食べようとはしなかった。
腹を空かしているはずなのに目の前の美味そうな角砂糖にしゃぶりつきもしない。
それは異様な光景だったそうだ。
なぜ食べないのか?聞くことができずにいた。
暫くして矢崎は口を開いた。
「先生、ありがとう。こんな立派な御砂糖。じゃけど人に見られたらものがよう食べれん。」
「先生が行ってから食べてもええじゃろうか?何も変なこたせんけえ。
すまんけれど、見逃してくださらんか。」
じいちゃんはどうしたものかと戸惑ったが、少し考えてその場を去った。
その日の日誌には「異常なし」と書いた。
次の日の朝、夜勤明けで帰ろうとしたところに出勤してきたKがやってきた。
角砂糖のことを聞かれたが、
本当のことを話す訳にもいかず
夜勤中に食して大変うまかった、と礼を言ってKと別れた。
Kはそれから月に数度じいちゃんにささやかながら高価な食べ物を寄越してくれた。
なぜか殆ど女子供が好むような甘い物だったそうだ。
Kには家庭があり幼い子もあったのでそのせいかなと考えた。
あの夜以来じいちゃんは表立ってではないが矢崎とよく話すようになった。
他愛もない世間話から、囲碁の打ち方を教えたり、出所後の身の振り方も相談してあげていた。
Yも以前からじいちゃんのことを出所してきた仲間から聞いていたようで、さらに慕ってくれるようになった。
挨拶をすれば嬉しそうにくしゃっと笑うようになったが
元々の体の弱さからなのか顔色の悪さは相変わらずで
Yの纏っている人生の悲壮感みたいなものはぬぐえなかった。
前科はありはしたものの似通ったもので
人を傷つけたこともないようだが、どことなく他の囚人とは違っていたようで
だから余計に気にかけるようになったのかも知れない。
そんな中不思議に思うことがあった。
この3ヶ月程の間じいちゃんがKから差し入れを貰うと、必ずYは食べ物をねだった。
最初はまたか。と思いながらKからの差し入れをこっそり渡していたが
食べ物の匂いで気づくのかその確率は間違いなかった。
Yが高価なものとわかってわざとねだってくるのかと思いもしたが、
Yと話しているとそのような性根の持ち主ではないことはよく分かっていた。
段々Kに悪いなと思いながら、Yに食べ物を渡し続けていた。
Yは相変わらずじいちゃんの前では食べることはしなかった。
ある時にあんたはよく鼻が利くな。と苦笑いしながら言うと
Yは低くしっかりした声で答えた。
「先生、本当に良かった。わしはわしを嫌うたまま終わるかと思いよったんじゃが
先生のお陰でそんな惨めな思いをせんで良うなったんです。」
「ほんの出来心でも、事の大きさをわかった時にはもう遅いんです。
そんな愚か者がそこらじゅう、ここには大勢おるんです。」
お前はもう十分分かったんだろう。と言ったが
Yは何も言わなかった。
じいちゃんはその日から考えるようになった。
Yが伝えようとしていること。
優しい振る舞いのKのこと。
じいちゃんはそれからKの差し入れを断るようになった。
それでも何度か渡されそうになったが、もう十分だからと全く受け取らなかった。
ばあちゃんはその頃から浮かない顔をしているじいちゃんを心配していたそうだが
割と亭主関白で強気な性格のじいちゃんは煩い!と怒鳴り散らした。
家族を巻き込みたくなかったのかどうなのかはよく分からない。
暫くしてじいちゃんが非番の日、
Yが牢内の布団の中で死んでいるところを発見された。
誰にも気づかれず逝ってしまったそうだ。
身寄りのないYの葬式は行われず火葬され、無縁仏として刑務所近くの墓地に埋葬された。
Kの様子が変わったのはYが死ぬ少し前からだそうだ。
ほんの少しずつだが顔色も悪くなり頬はこけ、
首の筋や腕の骨が目立ってきて
仕事はいつも通り真面目そのものだったが
誰が見ても昔の若々しいKとは違っていた。
その間Kの奥さんは子供を連れて実家に疎開したようだが、
Kから家族が逃げたという噂を同僚から聞いそうだ。
まともな食事が取れていないのは明らかなのに
まだ尚もKはじいちゃんに食べ物を渡そうとしていた。
女子供が好きなそうな食べ物。
じいちゃんが好きな甘い食べ物。
それでも必死に断り続け、
次第にじいちゃんもKとは距離を取って仕事以外であまり話すこともなくなっていた。
ある日の休憩中の真昼間、
じいちゃんが廊下からふと窓の外を見ると人気のない畑にKが跪いているのが見えた。
Kが作物には目もくれず畑の土を喰らっていた。
すぐに止めるべきだったが、じいちゃんは怖くて動けなかった。
間違いなくKには何か起きていると悟った瞬間だった。
それも自分の力ではどうしようもないことだと。
気が付くとKは口を真っ黒にしたまま立ち上がりそのまま歩いて行ってしまった。
じいちゃんと仲が良かったKの姿は見る影もなくなってしまった。
その後日を追うごとにKの様子は悪くなり
戦争が終わる少し前に体調不良で刑務官の仕事を辞めてしまった。
Kが辞めた日に初めてばあちゃんはこの一件を聞いて非常に驚いたそうだ。
あの溌剌としていたKがそんなことになっていたとは思いもよらなかった。
しかしそれ以来二度とじいちゃんの口から矢崎とKのことを聞くことはなかった。
戦後暫くしてじいちゃんは刑務官の仕事を辞めて
普通のサラリーマンとして働いて、最後は学校の事務員の仕事に就いた。
その話を聞いた時じいちゃんの見方がかなり変わったのと同時にものすごく気持ち悪くなった。
Kが一体何を考えて何をしようとしていたのか。
Yはじいちゃんを助けたのか。
ならばその為に何をしたのか。
結局怖くてじいちゃんには直接聞けなかった。
じいちゃん本人も本当のところは分からなかったと思う。
昔じいちゃんがクリープと底にザラメが出来るくらいたっぷりと砂糖を入れたコーヒーを
薄くて白いマグカップで毎日飲んでいる姿を思い出す。
案の定糖尿に苦しんでた。
あの時はあまりの砂糖っぷりに正直引いていたが、
カップの底に沈む砂糖に何か思うことがあったのかも知れない。