地下鉄サリン事件とは、1995年(平成7年)に、日本の首都東京都の地下鉄構内で、宗教団体のオウム真理教が神経ガスのサリンを散布した、日本における同時多発テロ事件である。
死者を含む多数の被害者を出したこの事件の正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」。

この事件は日本だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた。

坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件と並んで「オウム3大事件」とも称される。



1995年(平成7年)3月20日午前8時頃、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄(東京メトロ)、丸ノ内線・日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布された。

乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人。

日本では当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに1994年(平成6年)の松本サリン事件に続き、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えた。

サリンはナチスドイツが開発した化学兵器(神経ガスに分類される毒ガス)であり、無色・無臭の液体及び蒸気だけでも吸収される即効性の強い毒物。(吸入・経口のみならず、皮膚からも吸収される)

5編成以外で散布はなかったものの、乗客等に付着または気化したりしたサリンは他の駅や路線にも微細に拡散していった。
解毒剤となる薬剤も本来は農薬中毒に使用されるものであったため、被害がサリンによるものだと判明すると同時に都内病院でのストック分が使い果たされてしまう結果となった。

事件2日後、警視庁は新興宗教団体オウム真理教に対する強制捜査を実施。
教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕された。
地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及ぶ。
2012年(平成24年)6月15日、この事件に関与したとして特別指名手配されていた高橋克也が逮捕され、地下鉄サリン事件で特別指名手配されていた容疑者は全員逮捕された。


【オウム真理教とは】

・麻原彰晃こと松本智津夫は、宗教団体「オウム真理教」を設立。
真実を知り「世界を破滅から救う」ために活動しており、それを阻止しようとしているアメリカ軍に攻撃されていると主張、有能な人材を複数配下に様々な兵器を開発した。

(信者の中には高学歴の医者、科学者などが多く存在していた。
余談ではあるが、本来ならばリアリストの多いであろう彼らが何故、オカルティズムに耽溺していったのか。
妊婦に昏睡薬の異常投与や、人間の耐え得る限度以上の電流を流し、洗脳と言う名の人体破壊を何故止められなかったのかといった疑問が多く噴出した。
サリン被害者、教団「洗脳」者の中には、20年経っても後遺症や知能破壊に苦しむ被害者も多い)

その中でサリンにも着目、製造。、
池田大作サリン襲撃未遂事件・滝本太郎弁護士サリン襲撃事件といった事件を引き起こし、松本サリン事件では遂に死者が発生した。
松本サリン事件から半年後、読売新聞が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ。
さらに同年2月の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でのオウム真理教の関与が強く疑われ始める。
松本被告(麻原)らら教団幹部は警察の強制捜査が切迫していると危機感を抱き、捜査を撹乱させ目を逸らせる目的で東京の地下鉄に毒ガスを撒くことを決定


【サリン散布】
・千代田線(我孫子発代々木上原行)

散布役は林郁夫と新実智光が担当。

マスク姿の林は8時2分頃新御茶ノ水駅への停車直前に袋入りサリンのパックを傘で刺し逃走
列車はそのまま走行し、二重橋前駅 - 日比谷駅間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に、次々に被害者が発生。霞ケ関駅で通報を受けた駅員が駆け付けサリンを排除。
当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の国会議事堂前駅で運転を打ち切った。
サリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。

・丸ノ内線(池袋発荻窪行)

広瀬健一と北村浩一が担当。

広瀬は池袋から乗車し、御茶ノ水駅でサリンを散布
中野坂上駅で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出。
サリンのパックを回収したが列車はそのまま運行を継続し終点荻窪駅に到着。
そのまま折り返したため、新高円寺駅で運行が停止されるまで被害者が増え続けることとなった。
この電車では1人が死亡し、358人が重症を負っている。


・丸ノ内線(荻窪発池袋行)

横山真人と外崎清隆が担当。

横山は四ツ谷駅でパックに穴を開けサリンを散布
列車は終点池袋駅に到着後折り返し荻窪駅に向け出発した。
本郷三丁目駅では駅員がサリンのパックをモップで掃除し、池袋駅に再び戻る。
列車は新宿駅に向け運行を継続。列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に国会議事堂前駅で運行を中止した。同線では約200人が重症を負ったが、この電車は唯一死者が出なかった。

・日比谷線(中目黒発東武動物公園行)

豊田亨と高橋克也が担当。

豊田は始発の中目黒駅から乗り込み、恵比寿駅でサリンのパックを刺した
(ニュースやワイドショーなどで当該車両のドア脇に転がったサリンのパックが撮影された写真が用いられた)
六本木駅 - 神谷町駅間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが、複数の乗客が倒れる。
神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者は病院に搬送。
その後後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は霞ケ関駅まで走行したのち運行を取り止めた。
この電車では1人が死亡し、532人が重症を負っている(事件翌日に心筋梗塞で死亡した1人含む)。

・日比谷線(北千住発中目黒行)

林泰男(現在は小池泰男)と杉本繁郎が担当。

他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し林は3パックを携帯
また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた
彼は上野駅から乗車、秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けサリンを散布した。
乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町駅で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出す。
当該列車は、サリンの液体が車両の床に残ったまま運行を継続した。
5分後の八丁堀駅停車中、再度乗客はパニックに陥り、車内非常通報装置を押すと列車は築地駅で停車、ドアが開くと同時に数人の乗客がホームになだれ込むように倒れた。
(この時の救出時の光景がテレビで中継されている)
列車は直ちに運転を打ち切る。

小伝馬町駅では後続列車である八丁堀・茅場町・人形町・小伝馬町で運転を見合わせた4つの列車と、退避させた列車の5列車が到着したことになる。
狭いホームに多数の乗客が下ろされ、列車の風圧などでホーム全体に広がったサリンを、多数の乗客が吸引する結果となり、当駅では4人が死亡した。

これにより、本事件で最多となる6列車が被害を受け、8人が死亡し2475人が重症を負った。



事件を受け、東京消防庁は化学機動中隊・特別救助隊・救急隊など多数の部隊を出動。被害者の救助活動や救命活動を行う。
救急特別第2、救助特別第1出場も発令し、延べ340隊(約1,364人)が出動し被害者の救助活動・救命活動を展開する。
一方、警視庁では東京消防庁との連携し、機動隊を出動、被害者の救助活動と後方の警戒にあたった。


地下鉄構内で「急病人」「爆発火災」「異臭」という通報により、駆けつけた消防と機動隊が協力して事件現場での救出活動を展開する。


だが、当初は「地下鉄で爆発」「地下鉄車内で急病人」などの通報が多く、サリンによる毒ガス散布が原因とは分からなかった。そのため、警察も消防も無防備のまま現場にて救出活動を行うこととなる。



【毒ガス・サリン】
・東京消防庁によせられた通報は「地下鉄車内で急病人」であり、複数の駅から一斉に通報が寄せられた。
次いで「築地駅で爆発」という119番通報。
各駅に出動した救急隊からの「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の報告が殺到。
司令塔の災害救急情報センターは一時的にパニック状態となる。


あまりの被害の大きさに、東京23区に配備されているすべての救急車が出動し、救急情報センターによる傷病者搬送先病院の選定も機能不全を起こす。
そのため、現場では、救急車が来ない・救急車が来ても搬送が遅い(出発できない)という状況に陥った。

この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に散布されるという状況の把握が、非常に困難かつ悲惨なものであることを全世界に知らしめた。


使用されたサリンガスははナチスドイツにより開発された神経性の毒ガスであり、後遺症も多く非常に非人間的なガス兵器であった。そのため、世界メディアからも大きく注目する。

もっとも、地下鉄サリン事件で使用されたサリンは、松本サリン事件と同様サリンと他の薬品を混合させた純度の低いものであることが判明している。このため異臭が発生した。

恐ろしい事に、なお純度の高いものは無色無臭で、皮膚からも体内に浸透する。

これに関して、松本は「純度は低くてもかまわない」と信者に言い、純度よりも攻撃を最優先させたと思われる(純度が高いものが使用されていたら死者が数千人以上出ていたと推定)。


事件の目撃者は地下鉄の入り口が戦場のようであったと語っている。
多くの被害者は路上に寝かされ呼吸困難状態に陥っていた。

被害者でも、軽度の者はそのまま出勤するなどしてしまい、更に症状を悪化させた者も多い。
救助したことでサリンの被害を受けた犠牲者もいる。

目撃者や被害者は、現在も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいる。
パニック症候群により、電車に乗車すら不安を感じる者もいる。
また、慢性的疲れ目や視力障害を負った被害者も多い。


当時重度な脳中枢神経障害を負った被害者の中には、未だに重度な後遺症・神経症状に悩まされ、苦しめられている者も数多い。

その後の教団の家宅捜査では、自動小銃や軍用ヘリなども発見されており、本気で戦争を起こす気だったのかどうかは不明。。

以下、主な犯人と刑
・麻原彰晃(本名松本智津夫) 【 死刑】
・村井秀夫 死亡 (口止めの為に刺殺されたと思われる)
・井上嘉浩  死刑
・林郁夫  無期懲役
・広瀬健一  死刑
・横山真人  死刑
・豊田亨  死刑
・林泰男 死刑
・新実智光  死刑
・北村浩一  無期懲役
・外崎清隆  無期懲役
・高橋克也  無期懲役
・杉本繁郎  無期懲役
・遠藤誠一  死刑
・土谷正実 死刑
・中川智正  死刑
・女性A  懲役1年6ヶ月
・女性B 懲役3年6ヶ月


なお、タイトルを「未解決」としたのは、教祖・松本智津夫が逮捕されたにもかかわらず未だ崇められていること・「オウム真理教」は名を変えて現在も宗教団体として存在していることからである。

カルトの闇は深い。


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