【因縁】家系にまつわるオカルト13代目【遺伝】

835 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 20:36:39 ID:EHWt1PNu0
ウチの家系もこの手の話にありがちな旧い家系。
「ウチの名字」と「家系図」等のキーワードでググると俺も知らないようなpdfドキュメントが出てきたりする。
何処かの知らない人が勝手に研究しているらしい。

では本題。
まずウチの家系は被差別部落と間違われる程同じ名字が密集している。
俺自身も被差別部落じゃないのか?と色々調べた位。
そして系譜的には男が駄目になる。
親戚が多すぎて本家、分家の関係が複雑なので俺から遡る形で書き込みます。




837 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 20:42:12 ID:EHWt1PNu0
まず父親4兄弟から。
長男→会社経営者だったものの離婚そして鬱病。
次男→俺の父親。DV+離婚。※今は父親と仲良しだよ。母親がキ○ガイ。
三男→産まれて1ヶ月で亡くなった。
四男→ずーっと三男だと思ってた。親戚も「三男坊」って呼んでるし。嫁が某新興宗教。

話が前後して申し訳無いが、ネット上でウチの土地がオカルトスポットとして有名。
その内容も正しい。
「正しい」というのは俺や俺家族、俺の友人が体験している事と相違が無いというほどの意味。


838 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 20:54:39 ID:EHWt1PNu0
祖父→脳梗塞半身不随、新興宗教にガン切れし四男のその実態を知らず。
祖母→祖父が亡くなった1週間後に後を追うように。俺にとっては母親。
     また彼女の父は某地区地域納税額no.1企業の社長。
     出資者は俺の曾祖父。
祖父の兄弟→アルコール中毒末期。戦死などなど。
曾祖父→石炭関係の事業で成功。この財産で俺の父親の代まで食いつなげる事が出来た。

じゃまず長男から行く。

>>837で書いたように会社経営者。
しかし祖父と不仲。なんせ厳しい祖父だった。
同じ敷地内(かなり広いです)の一角に居住する。
古井戸の隣。

※同じ敷地内なので屋号的な呼び方をしていた。ex.松の木、梅の木、ってな具合。

長男の嫁と祖父は犬猿の仲で長男も疲れたんだろうな。
家を継がなければならないので土地から出る事は許されない。
ある日からガリガリと壁を両手で掻きむしるようになり、
明らかに様子がおかしくなった。
今思えば好景気まっただ中。事業に問題は無い様子だった。
そのまま鬱病で入院。離婚。一家離散。娘息子もバラバラに。
その会社を俺の父親が継ぐ。


839 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:04:16 ID:EHWt1PNu0
そして話は複雑なのだが復員後、祖父は曾祖父が出資して成功した某企業に就職していた。
つまり祖母の父親の会社ですね。
しかし祖母の父親は出資者である祖父の父親つまり曾祖父に頭が上がらない状況だった。
これはつい最近知った事実。
結婚が先か出資が先かは良く分からない。
で、俺の父親が会社を継ぐ事になり、事業拡大と共に人員拡充。

男なら分かると思う小学生の時から近隣地区との縄張り争いってあるよね?
駄菓子屋とかゲームセンターとかで「ここは俺らの縄張りだ」みたいなさw
ひとり喧嘩の強いヤツが居てどうしても勝てなかった。
しかし中学に上がるとソイツと同級生になり、ソイツの父親がウチの親父の社員という事が判明。
ソイツは急に大人しくなった。
でもソイツも知れば良いヤツなので仲間になったし、ソイツの親父さんも凄くいい人だったんだ。
社員旅行では社員+社員の家族って事で時々俺も同行した。
同級生が居たから楽しかったな。
海で溺れて死にかけた時、ソイツの親父が一人で俺を助けてくれたり。


840 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:08:47 ID:EHWt1PNu0
そんな時、ソイツの親父が癌で死亡。
他の社員は農薬で自殺なんてのもあった。それはそれは凄惨だったらしい。
山を転げ回り、のたうち回り、苦しみの中で亡くなって行ったとの事。
その自殺の場所に「幽霊が出る」とネット上で噂になっている。

これは実際本当。俺もあの場所では色々あった。
信じたくないが幽霊って居るのかな、と思う。
その後の親父に関しては今はまだ触れたくないので割愛。
でもまあ仲良くはなったかな。


842 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:18:06 ID:EHWt1PNu0
そして三男。
産まれてすぐ亡くなった事はある程度大人になるまで知らなかった。

本家の仏壇にはそれこそ沢山の遺影や位牌がある。
その中で一際目立っていたのが三男だ。
なにせ産まれて一ヶ月(スマン三ヶ月位だったかも知れん)で亡くなった訳で、遺影が赤ん坊。
モノクロの遺影だが毛糸で編まれたニット帽を被っていて可愛かったのを覚えている。

しかもなんの思い込みか
そのニット帽は薄い水色だと俺は思い込んでいた。
だから小さい頃「あの水色の帽子の赤ちゃんは誰?」と祖母に訪ねても
一瞬困ったような素振りを見せ、
「○○くんだよ」としか答えてくれなかった。
だから三男だと知ったのは俺が20代半ばになってから。


844 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:33:22 ID:EHWt1PNu0
そして4男。所謂三男坊。
この叔父さんはウチの家系では珍しくおっとりしている。
とはいえ普通の過程から見たら十分DQNだと思うが、俺はこの叔父さん大好き。
なんか可愛いんだよね。
だから叔父さんの娘(俺からしたら従姉妹)達やその子供も凄く可愛くて
お小遣いをついついあげてしまう。
お歳暮やお中元もこの叔父さんには必ず贈る。
ただしお嫁さんが某新興宗教。
でも普段はめっちゃいい人。

若い頃から俺は家を出て一人暮らしだったから
俺が入院したり、大病になると母親代わりで面倒みてくれた。
俺にとって母親の祖母はその頃祖父の介護や身体も弱くなっていた事もあって迷惑掛けれなかった。
唯一この四男だけはマトモかな。
新興宗教を除けば。
酒の席で俺も全力で新興宗教を卑下し、罵倒するので叔母さんとは良く険悪になったけどなw

今冷静に思う事が一つある。
「四男だけマトモ」。
コレってウチの家系のご本尊を拝まず、新興宗教の本尊を拝んでいるからなのかな?とか
思ったりするが、余りにもオカルティな理論なので自分で無視している。

ちなみにこの叔母が最初にウチの土地で幽霊を見た。
もう20年以上前かな。当然2ちゃんも無い。
この幽霊の特徴がネット上の噂とドンピシャなんで、
「ああ、叔母の言っている事は本当なんだなあ」と妙に感心してしまった。

そして叔母の実家は某有名歴史家発祥の地。
民間信仰も篤く大規模なお祭まである。
後にしって驚いたのだがその某有名歴史家とウチの家系は繋がっていた。
何故俺が「家系」について興味を頂いたかというと、
祖父祖母、俺にとっての育ての親が同時期に亡くなった直後から
実家に帰る機会が増え、親戚も集まり、色々な話を聞いたり妙な体験をする事になったからだ。
それでこのスレに来た。


845 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:48:11 ID:EHWt1PNu0
なんだか盛り上がらずに申し訳ない。
登場人物を一通り紹介するだけでこんなに大変なんだな。

さて、そして祖父。
先にも触れたが大戦後無事帰国。俺は本当に可愛がられていたらしい。
「あの厳しい○○爺さんがお前だけには優しかった」と親戚中から聞く。
俺からしたら十分厳しくて怖いジイちゃんだったけどな。
普通に南部鉄瓶で頭ひっぱたかれたりさw

でもジイちゃんの話は面白かった。
戦時中の話なんて凄くリアルで子供ながらに聞き入った。
小さい頃から将棋も叩き込まれて、
小学生の時には既に将棋クラブの先生を秒殺出来る腕前を誇り、
俺のせいで授業中止、将棋勝負になり
俺がわざと負けるまで授業が始まらない、なんて昭和丸出しな時代。

このジイちゃんは復員後拳闘をしていた。今でいうボクシング。左腕には墨入ってた。
そういえば俺も左腕に墨が入っている。今気づいた。
そして俺は元ボクサー。
まあジイちゃんの影響が強かったんだろうな。
俺にとって「強い大人」の象徴だったんだろう。蛇の食べ方とか野鳥の食べ方まで教わった。
ベアグリルスのおじいちゃん版みたいな感じだなw

そんなジイちゃんは先の某企業で働いていた。
企業といっても戦後復興期から少し経ったあたり。家族的な感じだった。
ばあちゃんも手伝ったり、四男の嫁もバイト代わりに内職貰ったり、
すべては曾祖父の出資からスタートしているから祖父家系と祖母家系の繋がりは強固なもんだった。
爺ちゃんの妹がその企業の現社長だし、俺もどっちの親戚か区別が付かない人も多い。


847 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 21:56:42 ID:EHWt1PNu0
そんな元気丸出しの祖父が急に倒れた。
祖父曰く「朝起きたら身体が動かなかった」との事。
脳梗塞で病院へ。
一命を取り留めたものの半身不随に。

婆ちゃんは大変だったと思う。
旦那は半身不随に。
長男は鬱病で倒産で長男嫁と爺ちゃん不仲。
次男(俺の父)は家庭に無関心で、子供(俺)を押し付けられ母親代わりをする事に。
三男は死亡。
四男は新興宗教の嫁を持ち、度々小さな衝突があったらしい。

俺は婆ちゃんが亡くなった後に知った。
しかも俺は中学あたりからドロドロの不良少年に変貌した。
婆ちゃんごめんなさい。

退院後も爺ちゃんは一向に挫けなかった。
尊敬するわ。戦争行った人は気合いが違うよな。

ある日秘密基地で爺ちゃんにこんな事を聞いた。
秘密基地とは敷地内の一角、小さな家屋だ。俺と爺ちゃんしか入っちゃいけない決まりだった。
「○○婆ちゃんにも言うなよ。ウチの家系は色々あったんだよ。だからまだ死ねない。」
みたいな事を聞かされた。
あの時俺は何歳だったんだろう。8歳くらいだったのかな。


849 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 22:02:57 ID:EHWt1PNu0
その後爺ちゃんは半身不随のまま宮大工に興味を抱き始めた。
仏像を彫ったりもしていたかな。
普通に考えて暴挙である。
しかし倒れてから10年後にはとある神社にとあるものを奉納した。

俺はビビった。
半身不随、いや普通の素人がそんなもん作れねーだろ!という代物。
地元テレビ局が取材に来てたよ。
これ以上詳細を伝えると俺特定されそうだから、そろそろボカしていきます。
その神社もまたネット上では「オカルト神社」扱いされていた。
爺ちゃんショックだろうな・・・と思った。

でそろそろ家系にまつわるオカルトにそったエピソードだな。よし。


850 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 22:15:08 ID:EHWt1PNu0
爺ちゃんはとにかくご先祖様を大切にする人だった。
普段は横柄かつ横暴だが、毎朝かならず仏壇に手を合わせ、いつも仏壇を気にしていた。
いい忘れたが俺と爺ちゃんは顔がソックリだ。
爺ちゃんが亡くなった時、爺ちゃんの昔の写真を親戚中で見ていた。
俺はビックリしましたよ。
だって顔が俺そのものなんだもの。
歯医者さんでは「歯形が全く一緒」と言われた。
そんな理由もあって可愛がられたのかな。

そして祖父祖母がダブル危篤状態になった頃、俺は毎日実家に帰るようになった。
それぞれ違う病院だからお見舞いいったあと、本家で今後の話合いみたいな。
本来俺は孫世代だから無関係なのだが、親父兄弟は先の有様。
俺は会社経営10年目位で、弁も立ったから他の親戚に色々頼られた。
最悪俺が本家を継ぐ選択も考えていた。
なにせよ土地はあるし、爺ちゃんが行政と掛け合って治外法権的な処置をとっている土地もあった。

その時の俺を支えてくれたのが現嫁。
親兄弟や親兄弟嫁の誰よりも働いてくれた。
その嫁がウチの本家に来た時、仏壇にある三男の写真をみて驚いていた。
なんで○○(俺)の写真が仏壇に有るの?と真顔で尋ねてきた。
親戚中笑いながら「なんで生きてるのに○○が居るんだよwしかもモノクロw」って雰囲気。
しかしある叔母さんから驚愕の事実を聞く事となる。


852 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 22:28:00 ID:EHWt1PNu0
俺が婆ちゃんに預けられた頃、俺は利かん坊だったらしい。
母親に何度か殺されかけたってのが大きかったんだろうな。
大人を信用していなかったんだと思う。
しかし婆ちゃんだけには懐いていたそうな。
そして小さい頃の俺は水色以外のオベベを着ると猛烈に泣き出していたとの事。

その話を思い出すきっかけは祖父祖母逝去後、親戚中で旧いアルバムを漁っていた時の嫁の一言。
「○○は水色しか着ないんだね。みんなは色んな服着ているのに。」
コレで俺はハっとした。
モノクロの写真に対して「水色の服」と断定して婆ちゃんに尋ねていた事を。
恐らく幼い頃の自分の記憶と、仏壇のニット帽の写真に対するイメージが混同しただけであろう。

しかし親戚のある叔母から話を聞いた。
「今だから言うけどね、○○婆さん(俺の婆さん)は○○(俺)の事三男の生まれ変わりだ」って言っていたらしい。
俺は初耳だ。当たり前か。
婆ちゃんは三男が亡くなった事に対してもの凄い罪悪感とショックを抱えていたんだろうな。
でも生まれ変わりなんて言ったら
俺のアイデンティティに関わる問題なので俺には何も言わなかった。

ちなみに母親に殺されかけた時助けてくれたのは婆ちゃん。
もう幼子が死ぬのが嫌だったんだろう。
その叔母さんの話によると俺はかなりハードな状況だったらしく、いつ死んでもおかしくなかったそうな。
そんな訳で産みの母親とは和解していない。
何度か接触を受け入れ歩みよったが、ありゃオトナの姿をしたコドモ。
母親でなくて只の女であった。

話を戻します。
もし俺が三男の生まれ変わりだとしたら
俺が三男坊叔父さんに抱くなんとも言えない愛情に合点がいく。
まあ妄想だよなw


855 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 22:39:05 ID:EHWt1PNu0
ご支援くださる皆様、有り難うございます。
ダラダラと申し訳ないです。
「家系にまつわる」の定義がゲシュタルト崩壊してきてしまいました。

まあとにかく爺ちゃんには「仏壇は大切にしろ。ご先祖様を敬え。」と教育を受けた。
小さい頃俺は尋ねた。
「仏様にお願いしたら何でも助けてくれるの?」と。
爺ちゃんの答えはNOだった。

「助けてもらうもんじゃねえ。感謝するもんだ。まあただ・・・手合わせるとホっとすりゃぁな。」
と少し照れた様子で語っていたのをはっきりと覚えている。
そんな我が家系を度々襲うのが火事だ。

まずは俺が物心付くか付かないか頃の話。突如仏壇から出火。部屋中に引火する勢い。
爺ちゃんは周りの静止を振り切り仏間へ突入。
素手で消化した。
爺ちゃん入院レベルの大火傷。
その後婆ちゃんを鬼の形相で叱りつけていた。
あれは半身不随の前か後か覚えていない。

そして二度目の火事。
これははっきりと覚えている。
爺ちゃんは寝たきり状態に加え痴呆も進行していた。会話が出来ない状態。
漫画とかで良く有る「飯まだか?」とかそういうレベルじゃない。
もう会話が出来ない。
発音がやっと。でも時々笑ったりはする。
結局爺ちゃんは亡くなるまでに二度だけ正気に戻る。
二度目の火事はその貴重な一回目であった。


860 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 22:52:39 ID:1B9py4p00
俺は土地を離れ某都市で会社を営んでいた。
高度成長期はとっくに終焉を迎え、
やたら横文字の職業が増えた時期と言えば察しが付くと思う。

起業当初は食べるのに必死で実家に帰る事は殆どなかった。正月すら帰らない。
たまーに婆ちゃんと電話する位だが「元気?」「ああ元気だよ」位。
もっと話しておけば良かったと心底後悔している。
余談だがみんなも親御さんは大切にして頂きたい。
いつか急に亡くなるもんだ。

でそんな黎明期の心に余裕が無い時期、お盆に海へ出かけた。
その頃は仕事の合間を縫ってサーフィンばかりしていたんだ。
その日も一人で海へ出かけクタクタになるまで楽しんだ後帰路に着く予定であった。
波乗りやるヤツは分かると思うが海上がった後は猛烈に腹が減る。
いつもなら馴染みの定食屋で速攻ご飯をかき込む所。
しかしその日はフっと婆ちゃんを思い出した。
海上がったのが7時くらいかな。婆ちゃんは起きているはず、と久々に電話をした。


874 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:54:33 ID:1B9py4p00
携帯から本家へ電話。
「婆ちゃん?元気?腹減ったから飯作ってくれ。生姜焼きが食べたい。」
俺は婆ちゃんの生姜焼きが大好物。
婆ちゃんが亡くなる直前まで「生姜焼きが食べたいから死ぬな」と意味不明の駄々を捏ねた。

さて、海から本家へは2時間以上掛かる。婆ちゃんは驚いていた。
本当に来るのか?と。
空腹を堪えながら車で本家へ向かう。
日差しが強い8月。
肌は赤く日焼けしていた。

そして無事本家に到着。
実はそこで「ああお盆だ」と実感したんだよね。
なぜなら仏間が解放され、仏壇に装飾が施されていたから。
お供え物も沢山あって、提灯も出ていてお祭みたいだった。

でも妙な違和感があった。
そう、爺ちゃんの指導により何があってもお盆だけは一族郎党本家に集合するのが習わし。
しかしその年に限って誰も集まって居なかった。


875 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:55:20 ID:1B9py4p00
爺ちゃんも寝たきりだし痴呆は進行しているわで、
全員が「もういいや」って思ったんだと思う。
爺ちゃんの教育により若くして信心深かった俺は、一人線香を上げ手を合わせた。

そして親父や叔父に電話した。
「久しぶりに本家に来た。今日お盆だろ。なんで来ないの?」って感じで。
みんな返答は同じだった「今年は行かない」って。
歩いて5分くらいの距離なのに。なんか悲しかったのを覚えている。

そんな事をしているうちに生姜焼きが出来上がったのでガッツいた。
日焼けで身体はヒリヒリしているし、久々の本家で妙な開放感を覚え
上半身裸でガツガツ食べていたんだよね。

そうしたらすりガラス越しに人影が見えた。
誰かが庭をウロチョロしている。何だ?結局誰か親戚が来たのかな、と思った。
しかし一向に玄関に入って来ない。
相変わらずウロチョロしている。明らかに不審者だ。
先に触れたがその頃はまだボクシングを辞めて間もない頃。
筋骨隆々な俺は腕っ節には自信があった。婆ちゃんに何かあったら大変だ。
そう思っていた矢先、ダンダンダンダンダンダン!!!!!!!!
そいつは猛烈な勢いで玄関を叩き始めた。
婆ちゃんも驚いている。


876 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:56:38 ID:1B9py4p00
完全に輩だと俺は認識し、玄関へ躍り出て叫んだ。
「テメーなんのつもりだコラ!」
相手は当時の俺と同い年くらいかな。
よく見ると制服を着用していた。
見覚えのある制服。
そう、本家の敷地を挟んだ向いの某ショップ店員だった。

そのショップは進出にあたり地上げに苦労したという。
そのショップチェーンのオーナーが直々にうちの爺ちゃんの所へ来てなんとかして欲しいと懇願。
基本的に情に篤い爺ちゃんはそのオーナーの心意気を買って、
まわりの地権者を説得し自分の土地部分はタダ同然で提供したらしい。
その代わりある約束をそのオーナーと交わしたらしいがそれはまたの機会に。
そんな経緯を瞬時に思い出した。
相手の兄ちゃんは言った。


877 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:57:45 ID:1B9py4p00
「ち、違うんです!ほらほらほら!」と明後日の方向を指差している。
その方向を見た。
するととんでも無い事になっていた。
母屋の隣の建物がゴウゴウとどデカイ火柱を上げて燃え盛っている。
あの「秘密基地」の近くでもある。

俺は慌てて飛び出し、庭の水道を全開にしホースを持って駆け寄った。
それと同時に真っ先に叔父へ電話。
叔父は当時地域の消防団だった。
これも地域の習わしでウチの家系が必ずやらなければならない。
真面目な叔父はその役を押し付けられていた。
「叔父さんヤバイ!本家が燃えてる!早く来てくれ!あと消防車も!」
そして俺は一人で鎮火作業に励んだが全く歯が立たない。

バケツ作戦に切り替えた。
こちらの方が幾分効果的であったが
被害が拡散し、母屋に燃え移るのはまさに火を見るより明らかであった。
また作戦を切り替え、ホースの水を母屋に浴びせまくった。
延焼を防ぐ事を第一とした。
そうこうしているうちにはしご車2台と上空にはヘリコプター2台、大変な事になっていた。
制服の青年も手伝ってくれているウチにまずは消防署が到着。

しかしドンくさい。
放水車はなかなか機能しないで「あれ?」とか言ってるし、
足下悪くてコケて俺に捕まるし邪魔しかしなかったw


878 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:58:51 ID:1B9py4p00
そして叔父さん率いる地域消防団到着。
消防署員から放水車を奪いあっという間に放水。
俺は相変わらず最前線で鎮火活動。
救急隊員も到着し、俺は後ろから羽交い締めにされた。「!?」である。
「君!もの凄い火傷だぞ!下がりなさい!」
「サーフィンの日焼けっす!紛らわしくてすみません!」
このやりとりは我ながら笑った。
上半身裸のままだったのだ。

次々と一族が集まってきた。
全員で消火活動。
最初に記載した通り同じ名字が密集している我が一族。
有事の際の団結は半端ではない。
上空ではヘリコプターが周回しながらバリバリと音を立てる。
一族は必死で鎮火作業。
消防署員はパニック。
本当にカオスであったが無事鎮火した。

母屋の隣接部分は黒く焦げ、延焼一歩手前だったと思う。
その後事情聴取。
原因は婆ちゃんの火の不始末だった。
椎茸栽培の木に蜂が巣を作ったとの事で新聞紙に火をつけ煙で燻して追い出していたらしい。
そんな時に俺が到着。
お腹減っては可哀想と思ったのだろう。
そちらに意識が行き、新聞紙を放置。
結局制服の青年に非礼を詫び、お礼を申し上げ、
消防署員や救急隊員の方々にもお詫びとお礼を申し上げる形で事態は収拾。


879 :本当にあった怖い名無し:2010/03/30(火) 23:59:37 ID:1B9py4p00
気づけば一族郎党全員集合と相成った。
全員で仏間に集合し、口々に婆ちゃんを責めたり、
母屋に移らなくて良かったと感想を漏らしたり、騒がしい時間が過ぎようとしていたその刹那。

「コラー!」
爺ちゃんが杖も使わずスックと仁王立ちしている。
半身不随に痴呆症、移動は他者の力を借りての車椅子のハズなのに。
「おんめぇら、盆だってぇのに今更雁首揃えてどういう了簡だこらあ!」
返す刀で婆ちゃんに、
「おんめえは、昔っから注意が足りねえ!家燃やす気かあ!」
全員ポカーン・・・・・である。
爺ちゃんが正気だったのは1分程度だったと思う。
すぐに座り込みいつもの爺ちゃんに戻った。

俺は爺ちゃんを介護用ベッドまで運んだ。
心無しか爺ちゃんはホっとした表情を浮かべていたと思う。


880 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:01:16 ID:6JUst0aG0
ここで全員気がついた事。
結局例年通り一族郎党全員が顔を揃えたのである。
この時ばかりは全員反省していた。
「お盆に集まらなかったから曾祖父が怒ったのよ」てな具合。

長く続く家系とは言え、色々な意味で一族が食べていけるのは曾祖父のお陰。
みんなそれを忘れていたのかな。
もしも俺が婆ちゃんに「生姜焼きが食べたい」と伝えていなければ火事は起こらなかっただろう。
今となっては良かったのか悪かったのかは分からない。

その後夜深くまで皆で飲んだ。
油?の鳴き声、風鈴の音、畳の匂いが心地よいあるお盆の思い出です。

本家の火事編、了。


882 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:21:16 ID:Ble9PzT70
乙!
火傷と日焼けのやりとりでワロタw

家っていうか、仏壇(やっぱりご先祖?)中心に回ってる家みたいな感じがするね
じい様が正気に戻ったのもご先祖関連だし


884 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:36:53 ID:6JUst0aG0
>>882
有り難うございます。アレは自分で笑いましたw
祖母祖父の死後、仏壇もだいぶ分割?されました。
祖母祖父の位牌及び仏壇が現在三カ所にそれぞれあります。
それを駄目だ、というお坊さんもいれば、構わないというお坊さんもいらっしゃいました。
実際どうなのでしょう。
今別の話を纏めています。


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